こんにちは。Kaito(@kazuka000)です。
新社会人となり、約2週間が経ちました。
忙しい毎日ですが、楽しさもあるわけで意外と早く2週間たってしまったなーという印象です。
同期と喋ったり、遊んだり、飲んだりするのは楽しいもので、仲間を大切にする重要さは今も昔も変わらないのだなあとつくづくと感じます。
さて、そんなわけで今日のお話はカンボジアなどの発展途上国で物乞いの子供達に出会った話です。
生まれた場所が違うだけで、こんなにも差があるのは理不尽だと思い悲しく思いました。このことに関しては語り尽くせないのでとりあえず本題に入ります。
私にできることはあまりなく、簡単にできることといえば募金、お金を上げる、ものを買ってあげるくらいですが、このことに関して一緒に旅した友人と議論したのでここにも書きたいと思います。
カンボジアにて思ったこと・・・
まだまだ旅行記は書けていませんが、昨年にカンボジアに行った時の話です。
友人と二人でバックパッカーで行ったのですが、カンボジアは貧しい国で、アンコールワットを観光しているときでさえ、物乞いが沢山いました。
物乞いといっても、単に物乞いをする人もいれば、小さいこどもが手作り?のブレスレットやキーホルダーを買って!と言ってくるのであります。
友人は同情してしまい、そのような子供たちからいろいろと買ってあげていました。
それに対して、私は1つも買いませんでした。
友人は1人でも助けてあげれるなら買ってあげたいと言っていました。
なぜか買ったあとの子どもたちはあまり喜んでいませんでしたが。
それに対して、私は1人だけ救ってもシステムが変わらない限り何も変えることができないと思って何も買いませんでした。
現実主義ですいません。
この問題に対してどちらが正しいのか?
果たして、どちらが正しいのでしょうか。
けっこう難しい問題だと思うんです。
もちろん一番良いのはそのような貧困で悩む子どもたちがいなくなることなんですが。
でも、社会主義もあまりよろしくはないというジレンマもあるし。。
この問題に際して、友人は私に対して「悪魔の心の持ち主や」と馬鹿にしてきました。
私は「偽善者やろ」と言い返しましたが、どこかすっきりしません。
そして言い合いになったのですが、果たしてどちらが正しいのでしょうか。
ちなみに友人で貧困国の子どもたちを救いたいと大学時に立ち上げて頑張っている者は私と同じ意見で「何も変わることはないから買わない」と言っています。
この友人の違うところは帰国してから貧困国の子供たちを支援する団体を作ったことです。行動力のある人はすごい。
個人的な解決策を考えてみた!
この問題に際して、帰国してからも、ブログに書こうと思ってからも解決策を考えていたのです。
そりゃ買わないよりは買うほうが道徳的には正しいのかもしれませんが、納得できないことはしない。
そこで、考えたのが
私の趣味であるカメラで写真を撮ることを活かす。
しかもこれは日本人はiPhoneで写真をめっちゃ撮るので万人に当てはまるはず。
というわけで、解決策は
「写真撮らして!」「写真いっしょに撮ろ!」といってお駄賃をあげることです!
これならこちらも思い出に残るしウィンウィンなのではないでしょうか。
もしも、私なら普通に払うと思う方もこの写真パターンを使っていただけると光栄です。
これを思ったきっかけが途中にも少し書いたのですが、友人が買ってあげたのに全然嬉しそうな顔をしなかったことなんです。
「ありがとう」の言葉も言われず、笑顔にすらならない子供たちが多かったので闇を感じました。(むしろ言い値より高く買ってあげたときもあったのに)
なので、次行く時はこの写真パターンを使ってみたいと思います。
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